大会レポート

2011.2.24

第45回記念青梅マラソン大会 女子30キロの部優勝者 大南博美選手(ユティック)

「去年は2位で悔しい思いをしたので、今年は絶対に優勝したいと思っていました。タイムはまだ満足できるものではないですが、最低限の目標が達成できて本当に嬉しいです」。
ゴール直後、晴れやかな表情でそう話してくれたのは、女子30キロの部で初優勝を飾った大南博美選手(ユティック)です。
スタートから終始独走状態で青梅路を駆け、1時間46分27秒と、2位の牧島さおり選手(キヤノン)に1分53秒も差をつけてゴールテープを切りました。

他選手との圧倒的な力の差をみせつけた大南選手ですが、昨年1年間は、レースに集中できず辛い思いをすることが多かったと言います。
昨年3月に所属していたトヨタ車体が廃部。その後も、なかなか所属先が決まらず、“失業者”状態が続いたそうです。
「(所属チームが廃部になってからは)練習も食事も敬美(双子の妹)と二人でやってきました。練習環境がガラリと変わり、思い通りに自分の走りができなかった……」。
一時は引退することも考えたそうですが「走れる限りはやっぱり走りたい」と決意。今回の青梅での見ごとな復活劇の裏には、並々ならない情熱と努力があったのですね。

現在は、故郷である福井県の染色加工業「ユティック」に所属。東京を拠点に走り込んでいる大南選手。「3週間後には名古屋マラソン(=名古屋国際女子マラソン)で走ります。この1年間、名古屋を目標に頑張ってきたので、青梅でレース感覚がつかめてよかった」と、今大会が大きな自信に繋がったようです。
さらに、「私の場合、前半から積極的に行けると、後半きつくてもいい順位やいいタイムで帰ってこれるんです」と自身の走りを分析し、「今日は20キロ地点まで思い通りのペースで走れたましたが、後半はなかなかペースがあがりませんでした。名古屋までの3週間で、体のブレを調整したりマメができない走り方に変えていきたい」と、克服すべき課題がみえたと話してくれました。


「青梅(マラソン)は、本当に感激できる大会。沿道の声援もそうですし、折り返した後、他の市民ランナーの方からすれ違いざまに声援をいただくこともあります。そのおかげで、30秒くらいタイムが縮む感じ(笑)。昨年秋に太股を故障して、いまは私のサポート役に回っている(妹の)敬美も、早く治して青梅(マラソン)で走りたいと言っていました。来年は、絶対に2人そろって出場します!」

大南博美(おおみなひろみ)1975年11月15日福井県若狭町生まれ。双子の妹・敬美とともに三方中から陸上を始め、’94年に東海銀行(のちのUFJ銀行)に入社。’04年9月のベルリン・マラソンで2時間23分26秒を記録。’05年ヘルシンキ世界陸上1万メートル21位。’05年のUFJ銀行、’10年のトヨタ車体と2度の廃部を乗り越え、’10年11月ユティックに入社。