1. 2020 -
  2. 2010 - 2019
  3. 2000 - 2009
  4. 1990 - 1999
  5. 1980 - 1989
  6. 1970 - 1979
  7. 1960 - 1969

2020 - 2029

第56回 2024年2月18日(令和6年)開催

出場者数 13,236名

30キロの部男子はパリ五輪男子マラソン代表の赤﨑暁(九電工)選手が日本人最高記録となる1時間29分46秒で優勝。同女子はパリ五輪女子マラソン代表の一山麻緒(資生堂)選手が1時間45分21秒で優勝した。
30キロの部のスペシャルスターターを読売巨人軍前監督の原辰徳が務めて、ランナーにエールを送った。 第55回記念大会から参加者定員を3000名増やして16000名としてエントリー受け付けをおこなった。

第55回 2023年2月19日(令和5年)開催

出場者数 10,831名

節目の55回記念大会。30キロの部男子は名取燎太(コニカミノルタ)選手が、2018年王者の岡本直己(中国電力)選手を残り1キロで逆転し、2位と4秒差の1時間31分57秒で優勝。同女子は福居紗希(三井住友海上)選手が1時間44分48秒で優勝した。30キロの部の男女総合優勝者には、賞金50万円が贈呈された。スペシャルスターターをシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんが務め、ランナーにエールを送った。沿道には約6万人の歓声が響き渡り、3年ぶりの開催となった記念大会の青梅路を彩った。

第54回 2020年2月16日(令和2年)開催

出場者数 15,256名

30キロの部男子は田口雅也(Honda)選手が残り1キロで逆転し、1時間30分45秒で優勝。同女子は東京五輪女子マラソン日本代表に内定している前田穂南(天満屋)選手が2004年の第38回大会で野口みずきさんがマークした1時間39分9秒の大会記録を34秒更新する1時間38分35秒で優勝し、さらに同じく野口さんが2005年にベルリンマラソンでマークした1時間38分49秒を上回る日本記録を更新。50万円の優勝賞金に加え、大会初のコースレコード賞200万円を獲得した。今回、スペシャルスターターをサッカー界のレジェント澤穂希さんが務め、ランナーたちにエールを送った。

2010 - 2019

第53回 2019年2月17日(平成31年)開催

出場者数 16,669名

30キロの部男子はチェボティビン・エゼキエル(サンベルクス)選手が大会新記録となる1時間29分6秒で2年ぶり2回目の優勝。第15回大会に瀬古利彦さんが出した参考記録1時間29分32秒を上回る好記録だった。同女子は吉田香織(TEAM R×L)選手が初優勝。スペシャルスターターをアテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさんが務め、ランナーたちにエールを送った。今大会よりアジア陸上競技連盟のAAAパーミット競技会の認証を受けた。

第52回 2018年2月18日(平成30年)開催

出場者数 16,626名

30キロの部男子は岡本直己(中国電力)選手が接戦を制し、同女子は芦麻生(九電工)選手が初優勝。スペシャルスターターを重量挙げ女子48キロ級ロンドン五輪銀、リオ五輪銅メダリストの三宅宏実さんが務め、ランナーたちにエールを送った。エントリーで青梅市ふるさと納税枠を新設し、89名のエントリーがあった。

第51回 2017年2月19日(平成29年)開催

出場者数 16,600名

30キロの部に優勝賞金50万円が設定され、男子は「3代目・山の神」こと神野大地選手らとの接戦を制してチェボティビン・エゼキエル選手、女子は2位に13分12秒の大差をつけるダントツVで宇都宮亜未選手が栄冠に輝いた。青梅市親善大使のタレント・篠原ともえさんも応援に駆けつけ、スペシャルスターターを務めた高橋尚子さんとスタート台に並び、ランナーたちにエールを送った。

第50回 2016年2月21日(平成28年)開催

出場者数 17,208名

節目の50回記念大会。30キロの部はラスト300メートルで勝負が決まる激戦の末、押川裕貴選手が優勝。公務員ランナーの川内優輝選手は3位。第15回大会にコース最高タイム(参考記録:1時間29分32秒)を出した瀬古利彦さんが30キロの部で、シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんが10キロの部で、それぞれスペシャルスターターを務めた。大会前日には青梅市内で50回記念のレセプションパーティーが行われ、歴代の優勝者が集結した。

第49回 2015年2月15日(平成27年)開催

出場者数 15,868名

スペシャルゲストに高橋尚子さんを迎え、前年中止となり二年越しのゲストのエリック・ワイナイナさんと2人で前日イベントのトークショーを行った。大会当日はロンドン五輪女子体操日本代表の田中理恵さんがスペシャルスターターを務め華やかな雰囲気でレースが始まった。男子30㎞の部はJR東日本の長谷川清勝選手が終盤の競り合いを制し1時間33分6秒でフィニッシュ。女子はキヤノンアスリートクラブ九州の天児芽実選手が2位に5分以上の差の1時間46分52秒で優勝した。

第48回 2014年2月16日(平成26年)開催

エントリー 19,960名

大会前々日の降雪により除雪作業ができず前日の開会式も含めすべて中止となった。参加賞のボストンバッグは申込者全員に送付された。

第47回 2013年2月17日(平成25年)開催

出場者数18,062名

男子30キロの部に、09年〜12年の箱根駅伝で4年連続5区区間賞を果たした柏原竜二選手が出場して話題となったが、結果は3位。優勝は、柏原選手と同期の伊藤正樹選手が飾った。タイムは80年以来となる大会新記録の1時間30分21秒。女子の部では、加藤麻美選手が大会史上2人目の連覇を達成した。

第46回 2012年2月19日(平成24年)開催

出場者数17,449名

男子30キロの部では、青梅マラソン大会初出場の田村英晃選手が優勝。女子の部総合1位は加藤麻美選手。スタート時の気温6.5度、湿度は28%、ほぼ無風と絶好のコンディションで、30キロの部では男子40歳代で2つ、男子60歳代で1つ、女子50歳代で3つ、あわせて6つの大会新記録が出た大会となった。

第45回 2011年2月20日(平成23年)開催

出場者数17,055名

男子30キロの部では、ボストンマラソンからの招待選手であるジェイソン・レムクール選手(米国)が1時間32分08秒で優勝。海外招待選手としては13年ぶりの制覇となった。今大会より10キロの部のフィニッシュ地点を青梅市役所前にするコース変更を実施。10キロの部のスタート時間を9時30分、30キロの部を11時30分に変更し、制限時間を10キロの部は1時間20分、30キロの部は4時間に改正した。また、アーティストの高橋理子さんがデザインを手がけた参加賞Tシャツを制作。青梅マラソンとドイツ・ミッテルラインマラソンの相互交流調印式なども行われた。

第44回 2010年2月21日(平成22年)開催

出場者数16,772名

男子30キロの部では、太田崇選手が第40回に続き、2度目の優勝を飾る。女子30キロの部では、マーラ・ヤマウチ選手(英国)が好記録で優勝。元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんが30キロの部スペシャルスターターを務める。

2000 - 2010

第43回 2009年2月15日(平成21年)開催

出場者数19,803名

大会史上最多の2万3281人がエントリー。開催日が2月第1週から従来の第3週の日曜日に戻る。青梅マラソン公式サイトが大会直前の1月30日にオープン、インターネットで情報発信が可能になる。北京五輪陸上男子400mリレー銅メダリスト朝原宣治さんが30キロの部スターターを務める。

第42回 2008年2月3日(平成20年)開催

エントリー20,444名

降雪により、第30回記念大会以来、12年ぶり2度目の開催中止に。 IAAF(国際陸連)による世界のロードレースの等級認定制度により「シルバーラベル大会」と認定される。

第41回 2007年2月4日(平成19年)開催

出場者数15,656名

開催日を2月第3週から第1週の日曜日に変更。申し込み期間を、9月開始の1カ月間から3カ月間に延長し、申し込み方法を抽選方式から先着順に変更。東京都知事・石原慎太郎氏が30キロの部のスターターを務める。

第40回 2006年2月19日(平成18年)開催

出場者数15,824名

シドニー五輪女子マラソン金メダリストで、第35回記念大会女子30キロの部優勝の高橋尚子さんが、30キロの部でスターターを務める。 10キロの部のスターターは瀬古利彦氏が務める。

第39回 2005年2月20日(平成17年)開催

出場者数13,585名

ボストン体育協会のトム・グリルク会長が来日し、姉妹提携延長の調印式を行う。青梅マラソンのコースレコードを持つ瀬古利彦氏が、30キロの部のスターターを務める。参加費の一部を義援金として、前年10月の新潟県中越地震で被災した人々に贈る。

第38回 2004年2月15日(平成16年)開催

出場者数12,873名

3年続けて、30キロの部のスターターを読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が務める。アテネ五輪女子マラソン代表の野口みずき選手が、1時間39分09秒という驚異的な日本最高記録で初優勝を飾る。

第37回 2003年2月16日(平成15年)開催

出場者数12,991名

前年に引き続き、30キロのスターターを読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が務める。降雨と降雪の悪条件のなか、1996年アトランタ五輪日本代表の実井謙二郎選手が優勝。

第36回 2002年2月17日(平成14年)開催

出場者数13,438名

読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が30キロの部のスターターを務める。

第35回 2001年2月18日(平成13年)開催

出場者数13,444名

女子の30キロの部で、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子選手が日本最高記録で優勝。大会史上最多となる78,000人の観衆が沿道を埋め尽くした。

第34回 2000年2月20日(平成12年)開催

出場者数13,241名

ジュニアロードレース(小・中学生)を新設。 RCチップによる着順判定方式が採用された。

1990 - 2000

第33回 1999年2月21日(平成11年)開催

出場者数14,131名

市民音楽祭を、開会式を挟んだ2部制で実施。

第32回 1998年2月15日(平成10年)開催

出場者数13,530名

1967年の第1回大会開催以来、出場者数がのべ30万人を突破。

第31回 1997年2月16日(平成9年)開催

出場者数13,919名

大会名を「青梅報知マラソン大会」から、「青梅マラソン大会」に変更。

第30回 1996年2月18日(平成8年)開催

出場者数 ―名

降雪のため、30年の歴史のなかで初めて、開催中止となる。 AIMSを通じ、ユニセフ(国際連合児童基金)活動に協力。

第29回 1995年2月19日(平成7年)開催

出場者数14,452名

ドイツのフランクフルトマラソン大会と交流が始まる。参加費の一部が義援金として、阪神大震災被災地に贈られた。

第28回 1994年2月20日(平成6年)開催

出場者数14,522名

札幌マラソン大会と姉妹大会調印。「第3回日本生活文化大賞」受賞。参加費の一部が義援金として、北海道南西沖地震被災地、九州地方集中豪雨被災地、(財)交通遺児育英会に贈られた。

第27回 1993年2月21日(平成5年)開催

出場者数14,383名

AIMS(国際マラソン・ディスタンスレース協会)に加盟。 10キロの部で、発信機による着順テストが成功。大会参加者総数が250,000人を超えた。

第26回 1992年2月16日(平成4年)開催

出場者数14,158名

大会イベントとして「市民音楽祭」が始まる。青梅市民で構成されたマラソン合唱団が誕生。

第25回 1991年2月17日(平成3年)開催

出場者数14,397名

主催者に東京陸上競技協会が加わる。日本陸連後援大会。市民マラソンの草分けとして、朝日新聞社の「朝日スポーツ賞」を受賞。モントリオール、モスクワ両五輪を連覇したチェルビンスキー(ドイツ)が10キロの部に出場。 25回大会を記念し、大会マスコットとイメージソングが一般公募により決定。

第24回 1990年2月18日(平成2年)開催

出場者数13,740名

ランナー同志の交流を深める目的で、カーボローディングパーティがスタート。

1980 - 1990

第23回 1989年2月19日(平成元年)開催

出場者数13,839名

昭和天皇の「大喪の礼」に伴う警備の問題で、外国選手の招待を取りやめ、沿道警備は市民の自主警備とした。 13年ぶりに静止スタートを実施。

第22回 1988年2月21日(昭和63年)開催

出場者数13,952名

イングリット・クリスチャンセン(ノルウェー)が、女子10キロの部で31分38秒で優勝。 日本で初めて、参加選手個々の名前が入ったゼッケンを使用。

第21回 1987年2月15日(昭和62年)開催

出場者数14,513名

ヨーロッパの代表的な市民マラソン、ドイツ・ミュンヘンマラソン大会と交流が始まる。ロス五輪銅メダリスト、ロサ・モタ(ポルトガル)が女子10キロの部で31分35秒で優勝。

第20回 1986年2月16日(昭和61年)開催

出場者数14,709名

史上最多の参加者を記録。招待選手 君原健二、宇佐美彰朗、若松軍蔵、采谷義秋、田中勝之。男子の部では伊藤国光(金紡)が、1時間31分41秒で優勝。

第19回 1985年2月17日(昭和60年)開催

出場者数14,067名

青梅マラソン大会史上初めて観衆65,000人を記録。

第18回 1984年2月19日(昭和59年)開催

出場者数13,582名

前々日の午後から前日夜半にかけて関東地方を見舞った大雪でコースが埋まり、開催が危ぶまれたが、前日の早朝から市民総出で除雪し、開催日には快晴のマラソン日和となった。

第17回 1983年2月20日(昭和58年)開催

出場者数13,358名

中国北京市春節マラソン大会と交流が始まる。

第16回 1982年2月21日(昭和57年)開催

出場者数13,860名

ボストンマラソンの名物ランナー、ジョニー・ケリー(78歳)が役員兼選手として出場し、10キロを完走。 ※コース 専売公社前スタート―奥多摩町川井折り返し―青梅市総合体育館前ゴールに変更。

第15回 1981年2月15日(昭和56年)開催

出場者数14,281名

主催者に青梅市が加わる。オランダ・アムステルダムマラソン大会との交流が始まる。受付2日間で定員15,000人に。瀬古利彦選手が、特別参加選手で前年のモスクワ五輪の銀メダリストのベラルドナイブール(オランダ)を大差で破り、1時間29分32秒で優勝。女子の部で佐々木七重選手が2位になり、翌年の第85回ボストンマラソンに青梅マラソン代表として派遣されることが決定。 ※コース 青梅市役所スタート―古里・朝日ガレージ折り返し―青梅市総合病院前ゴール

第14回 1980年2月17日(昭和55年)開催

出場者数12,981名

青梅市が中国北京市選手4名を招待。ボストンの招待選手、ランデイ・トーマス選手が1時間30分44秒の大会新記録で優勝。女子30キロの部が公認され、久保田宏子選手が2時間06分26秒で優勝。

1970 - 1980

第13回 1979年2月18日(昭和54年)開催

出場者数12,884名

参加者枠を15,000名とした。

第12回 1978年2月19日(昭和53年)開催

出場者数11,277名

世界で初めて着順判定に「ビデオシステム」を導入。青梅マラソンのシンボルマークが誕生。

第11回 1977年2月20日(昭和52年)開催

出場者数10,710名

参加者1万人の大台を突破。女子10キロの部に前年のモントリオール五輪、バレーボール金メダリスト18名が出場。

第10回 1976年2月15日(昭和51年)開催

出場者数7,813名

ボストンマラソンより、ビルロジャース・トムフレミング・美智子ゴーマンが出場。世界の一流選手と市民ランナーが一緒に走るという夢のような企画が実現。スタートの安全をはかるため、日本ロードレース初のローリングスタートが採用された。市民ランナーのための情報誌「ランナーズ」第一号が会場で配布された。

第9回 1975年2月16日(昭和50年)開催

出場者数4,087名

10月15日米国のボストンマラソンと姉妹提携が結ばれる。

第8回 1974年2月17日(昭和49年)開催

出場者数2,956名

30キロの部に女子ランナーが初出場。 10キロの部に女子ランナー78名が出場。

第7回 1973年2月18日(昭和48年)開催

出場者数2,406名

女子10キロの部を新設、46名が出場。 30キロの部に2時間30分の制限がつく。

第6回 1972年2月20日(昭和47年)開催

出場者数2,089名

今大会より完走者全員に完走賞を配布。

第5回 1971年2月21日(昭和46年)開催

出場者数1,723名

壮年の部10キロを新設、女性2名が特別参加。招待選手 沢木啓祐 ※コース 青梅市役所発着―古里・朝日ガレージ折り返し

第4回 1970年2月22日(昭和45年)開催

出場者数1,193名

招待選手 宇佐美彰朗

1960 - 1970

第3回 1969年2月23日(昭和44年)開催

出場者数680名

招待選手 山田敬蔵

第2回 1968年2月25日(昭和43年)開催

出場者数447名

宇井光男(中大)が30キロの部で、1時間31分33秒の日本最高記録で1位に。

第1回 1967年3月5日(昭和42年)開催

出場者数337名

青梅市陸上競技協会・報知新聞社主催。「マラソンの普及と強化」を目的に、誰でも参加できる大衆マラソンとして、“円谷選手と走ろう”を合言葉に始まる。一般30キロ182人、高校10キロ155人、合計337人が参加。1位は若松軍蔵、2位は円谷幸吉。※コース 青梅市役所―瑞穂町―村山町―砂川琴平折り返し―青梅六万公園ゴール。