青梅市陸上競技協会・報知新聞社主催。「マラソンの普及と強化」を目的に、誰でも参加できる大衆マラソンとして、“円谷選手と走ろう”を合言葉に始まる。一般30キロ182人、高校10キロ155人、合計337人が参加。1位は若松軍蔵、2位は円谷幸吉。 ※コース 青梅市役所―瑞穂町―村山町―砂川琴平折り返し―青梅六万公園ゴール。
宇井光男(中大)が30キロの部で、1時間31分33秒の日本最高記録で1位に。
招待選手 山田敬蔵
招待選手 宇佐美彰朗
壮年の部10キロを新設、女性2名が特別参加。招待選手 沢木啓祐 ※コース 青梅市役所発着―古里・朝日ガレージ折り返し
今大会より完走者全員に完走賞を配布。
女子10キロの部を新設、46名が出場。 30キロの部に2時間30分の制限がつく。
30キロの部に女子ランナーが初出場。 10キロの部に女子ランナー78名が出場。
10月15日米国のボストンマラソンと姉妹提携が結ばれる。
ボストンマラソンより、ビルロジャ ス・トムフレミング・美智子ゴーマンが出場。世界の一流選手と市民ランナーが一緒に走るという夢のような企画が実現。スタートの安全をはかるため、日本ロードレース初のローリングスタートが採用された。市民ランナーのための情報誌「ランナーズ」第一号が会場で配布された。
参加者1万人の大台を突破。女子10キロの部に前年のモントリオール五輪、バレーボール金メダリスト18名が出場。
世界で初めて着順判定に「ビデオシステム」を導入。青梅マラソンのシンボルマークが誕生。
参加者枠を15,000名とした。
青梅市が中国北京市選手4名を招待。ボストンの招待選手、ランデイ・トーマス選手が1時間30分44秒の大会新記録で優勝。女子30キロの部が公認され、久保田宏子選手が2時間06分26秒で優勝。
主催者に青梅市が加わる。オランダ・アムステルダムマラソン大会との交流が始まる。受付2日間で定員15,000人に。瀬古利彦選手が、特別参加選手で前年のモスクワ五輪の銀メダリストのベラルドナイブール(オランダ)を大差で破り、1時間29分32秒で優勝。女子の部で佐々木七重選手が2位になり、翌年の第85回ボストンマラソンに青梅マラソン代表として派遣されることが決定。 ※コース 青梅市役所スタート―古里・朝日ガレージ折り返し―青梅市総合病院前ゴール
ボストンマラソンの名物ランナー、ジョニー・ケリー(78歳)が役員兼選手として出場し、10キロを完走。 ※コース 専売公社前スタート―奥多摩町川井折り返し―青梅市総合体育館前ゴールに変更。
中国北京市春節マラソン大会と交流が始まる。
前々日の午後から前日夜半にかけて関東地方を見舞った大雪でコースが埋まり、開催が危ぶまれたが、前日の早朝から市民総出で除雪し、開催日には快晴のマラソン日和となった。
青梅マラソン大会史上初めて観衆65,000人を記録。
史上最多の参加者を記録。招待選手 君原健二、宇佐美彰朗、若松軍蔵、采谷義秋、田中勝之。男子の部では伊藤国光(金紡)が、1時間31分41秒で優勝。
ヨーロッパの代表的な市民マラソン、ドイツ・ミュンヘンマラソン大会と交流が始まる。ロス五輪銅メダリスト、ロサ・モタ(ポルトガル)が女子10キロの部で31分35秒で優勝。
イングリット・クリスチャンセン(ノルウェー)が、女子10キロの部で31分38秒で優勝。 日本で初めて、参加選手個々の名前が入ったゼッケンを使用。
昭和天皇の「大喪の礼」に伴う警備の問題で、外国選手の招待を取りやめ、沿道警備は市民の自主警備とした。 13年ぶりに静止スタートを実施。
ランナー同志の交流を深める目的で、カーボローディングパーティがスタート。
主催者に東京陸上競技協会が加わる。日本陸連後援大会。市民マラソンの草分けとして、朝日新聞社の「朝日スポーツ賞」を受賞。モントリオール、モスクワ両五輪を連覇したチェルビンスキー(ドイツ)が10キロの部に出場。 25回大会を記念し、大会マスコットとイメージソンが一般公募により決定。
大会イベントとして「市民音楽祭」が始まる。青梅市民で構成されたマラソン合唱団が誕生。
AIMS(国際マラソン・ディスタンスレース協会)に加盟。 10キロの部で、発信機による着順テストが成功。大会参加者総数が250,000人を超えた。
札幌マラソン大会と姉妹大会調印。「第3回日本生活文化大賞」受賞。参加費の一部が義援金として、北海道南西沖地震被災地、九州地方集中豪雨被災地、(財)交通遺児育英会に贈られた。
ドイツのフランクルフトマラソン大会と交流が始まる。参加費の一部が義援金として、阪神大震災被災地に贈られた。
降雪のため、30年の歴史のなかで初めて、開催中止となる。 AIMSを通じ、ユニセフ(国際連合児童基金)活動に協力。
大会名を「青梅報知マラソン大会」から、「青梅マラソン大会」に変更。
1967年の第1回大会開催以来、出場者数がのべ30万人を突破。
市民音楽祭を、開会式を挟んだ2部制で実施。
ジュニアロードレース(小・中学生)を新設。 RCチップによる着順判定方式が採用された。
女子の30キロの部で、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子選手が日本最高記録で優勝。大会史上最多となる78,000人の観衆が沿道を埋め尽くした。
読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が30キロの部のスターターを務める。
前年に引き続き、30キロのスターターを読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が務める。降雨と降雪の悪条件のなか、1996年アトランタ五輪日本代表の実井謙二郎選手が優勝。
3年続けて、30キロの部のスターターを読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が務める。アテネ五輪女子マラソン代表の野口みずき選手が、1時間39分09秒という驚異的な日本最高記録で初優勝を飾る。
ボストン体育協会のトム・グリルク会長が来日し、姉妹提携延長の調印式を行う。青梅マラソンのコースレコードを持つ瀬古利彦氏が、30キロの部のスターターを務める。参加費の一部を義援金として、前年10月の新潟県中越地震で被災した人々に贈る。
シドニー五輪女子マラソン金メダリストで、第35回記念大会女子30キロの部優勝の高橋尚子さんが、30キロの部でスターターを務める。 10キロの部のスターターは瀬古利彦氏が務める。
開催日を2月第3週から第1週の日曜日に変更。申し込み期間を、9月開始の1カ月間から3カ月間に延長し、申し込み方法を抽選方式から先着順に変更。東京都知事・石原慎太郎氏が30キロの部のスターターを務める。
降雪により、第30回記念大会以来、12年ぶり2度目の開催中止に。 IAAF(国際陸連)による世界のロードレースの等級認定制度により「シルバーラベル大会」と認定される。
大会史上最多の2万3281人がエントリー。開催日が2月第1週から従来の第3週の日曜日に戻る。青梅マラソン公式サイトが大会直前の1月30日にオープン、インターネットで情報発信が可能になる。北京五輪陸上男子400mリレー銅メダリスト朝原宣治さんが30キロの部スターターを務める。
男子30キロの部では、太田崇選手が第40回に続き、2度目の優勝を飾る。女子30キロの部では、マーラ・ヤマウチ選手(英国)が好記録で優勝。元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんが30キロの部スペシャルスターターを務める。
男子30キロの部では、ボストンマラソンからの招待選手であるジェイソン・レムクール選手(米国)が1時間32分08秒で優勝。海外招待選手としては13年ぶりの制覇となった。今大会より10キロの部のフィニッシュ地点を青梅市役所前にするコース変更を実施。10キロの部のスタート時間を9時30分、30キロの部を11時30分に変更し、制限時間を10キロの部は1時間20分、30キロの部は4時間に改正した。また、アーティストの高橋理子さんがデザインを手がけた参加賞Tシャツを制作。青梅マラソンとドイツ・ミッテルラインマラソンの相互交流調印式なども行われた。
男子30キロの部では、青梅マラソン大会初出場の田村英晃選手が優勝。女子の部総合1位は加藤麻美選手。スタート時の気温6.5度、湿度は28%、ほぼ無風と絶好のコンディションで、30キロの部では男子40歳代で2つ、男子60歳代で1つ、女子50歳代で3つ、あわせて6つの大会新記録が出た大会となった。
男子30キロの部に、09年〜12年の箱根駅伝で4年連続5区区間賞を果たした柏原竜二選手が出場して話題となったが、結果は3位。優勝は、柏原選手と同期の伊藤正樹選手が飾った。タイムは80年以来となる大会新記録の1時間30分21秒。女子の部では、加藤麻美選手が大会史上2人目の連覇を達成した。
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