イベント情報

2011.2.19

「AOSYN PRESENTS スペシャルトークショー」が開催されました

大会前日の19日、第45回記念大会の開会式後に「AOSYN PRESENTS 第45回記念青梅マラソン大会スペシャルトークショー」が開催されました。毎年、マラソンにゆかりの深いゲストを迎えて催される本トークショー。今年のゲストは谷口浩美さんです。

1985年、別府大分毎日マラソンで初マラソン・初優勝を飾って以来、2度の東京国際マラソン優勝、1991年の世界陸上での金メダルなど、輝かしい成績を残してきた谷口さん。初マラソンについては、「とにかくマラソンを体験したかったんです。監督からは『あの選手をマークしろ』と指示を受けて、その選手を見ながら走り、30キロを過ぎたら捨て身で走りました。それが功を奏した感じですね」と思い出を振り返ってくれました。

実業団の旭化成時代は、同時期に在籍した当時のトップランナー、宗兄弟(宗茂氏、宗猛氏。一卵性の双子)から学ぶこともたくさんあったそうです。

「1つは『たくさん練習をすること』。もう1つが『よく食べること』。あとは『よく休むこと』ですね。本当に、宗さんたちの食べる量の多さにはびっくり。強くなるために彼らをマネしようと思い、たくさん食べる練習をしましたよ」

谷口さんといえば、私たちの記憶に深く刻まれているのが1992年バルセロナ五輪での「転倒事件」。中間地点の給水所で転倒、さらにシューズが脱げてしまい、レース後「コケちゃいました」とさわやかな笑顔で答えてくれた姿が印象に残っています。

「単にコケたんだろうと勘違いされてる人もいますが(笑)、あれは踏まれたから滑ったんです。バルセロナの中間地点の給水所はセンターラインにあって、ある選手が左側から走ってきて給水所に気づくのが遅かったんですね。横から強引に入ってきて、その時に……周りを見ていないのが外国の選手らしいところなんですけど(苦笑)。その選手のつま先が、私にシューズのカカトに触れて、シューズが脱げて滑ってしまったと。今でも海外の大会とかに行くと、転んだことを海外の記者が覚えてたりして、それは少し利点ではありますよね。まあ、『転んでもただじゃ起きない』ということで(笑)」

バルセロナ五輪の前、疲労骨折で極秘入院していたことも明かしてくれた谷口さん。「その状況を考えると、五輪のスタートに立てたことが大事でした。だから、途中で転んでもあきらめなかったんだろうなと思います」と話してくれました。

トークショーの終盤、自ら立ち上がって「皆さん、靴下を履く時に立って履いてみてください。自分のバランス感覚がよく分かります」と、日々のちょっとしたトレーニングも実践。最後に、青梅マラソンに参加する市民ランナーの皆さんに向けて次のようなアドバイスをされました。

「青梅マラソンは前半上って、後半下ってくるというコースですから、上りと同じフォームで下りを帰ってくる、というのが最もいいのではないでしょうか。下りで決してオーバースライドにならないようにするのが大事です。あと、前日にやるべき項目を書き出して、スケジュールを組んだ方が楽です。スタートまでに準備を済ませて臨んでください。前日に消化しにくいものを食べるのもよくないので、消化のよいものを摂るようにしましょう」

ランナーの皆さん、本番は頑張ってください!

谷口浩美(たにぐち・ひろみ)
1960年宮崎県生まれ。現スポーツコメンテーター。宮崎県立小林高校、日本体育大学を経て、実業団マラソンの名門である旭化成に入社。旭化成時代は、当時のトップランナー、宗茂、宗猛と同じ時代を過ごす。1985年、初マラソンとなる別府大分マラソンで初優勝を飾り、1987年、1989年の東京国際マラソン、1991年の世界陸上東京大会、1987年のロンドンマラソンなどでも優勝を果たした。五輪は1992年のバルセロナ(8位入賞)、1996年のアトランタ(19位)に連続出場。バルセロナ五輪では、給水所で転倒するアクシデントを経験し、レース後の「コケちゃいました」の一言により一躍有名に。